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お塩について再び考えてみよう

天日塩

今回は、お塩のことについて再び考えてみたいと思います。

それは、ここ近年、お塩が再び注目されているからです。
これも健康志向の流れの一つだと思います。

それは、それでいいことなのですが・・・

我が国は、70数年前に敗戦国になった時から、全国各地にあった多くの塩田が失われ、石油コンビナートなどに形を変えていきました。

お塩は、国が管理するようになり、それまで各地で生産されていたご当地のお塩は姿を消しました。

また時が経ち、再び民営化され現在に至ります。

この間、各地で作られてきた塩から、国が生産に力を入れていた「食卓塩」が日本全国に広まりました。

この精製塩は、科学的に作られるので大量に比較的簡単に作られることから非常に便利だったのです。

一方、昔ながらの押しを作るのは、大変労力と時間のいる仕事です。

下のイラストは、テジャクラ村のお塩を作る過程を描いています。

テジャクラ村の塩海水を運ぶ

海水を汲み上げて、天日に干し、乾かして結晶を作ってようやく一人前のお塩になります。

結構な作業なのです。

テジャクラ村の塩海水を貯める テジャクラ村の塩、塩を乾かす

国が生産していた精製塩は、大量生産できる代わりに科学的に生産されるのでほとんどナトリウムのみの塩になります。

が、昔ながらの海水で作られる塩には、海水に含まれるミネラル分が豊富に入っています。

昨今の健康志向の高まりから、精製塩ではなくて天日塩に多くの人々が関心を寄せるのは当たり前だといえます。

下の写真は、カンホアの塩を作っている光景です。
ベトナムの美しい海水から汲み上げて長い時間を掛けて作られています。

精製塩は、安価であり食糧不足の時代には重宝されましたが、時代は移り現在では天日塩を好んで購入する方が多いです。
また、規制が緩和されて全国でも少しずつではありますが、各地でご当地のお塩を生産する地方も出てきています。良い傾向だと思います。

しかし、お塩はどこまで行ってもお塩です。
毎日欠かさずに、取る必要のある大切なものです。

が、昨今この天日塩が一人歩きしているのも耳にします。
不思議なもので、塩は塩です。どこまで行ってもお塩でしかありません。調味料です。

お店の軒先に盛ったり、お塩で浄めを行って使われることもあり、何だかそれ以上の扱いに注視する方々が多いですが、日々家庭で使われるものであり、それ以上であってはならないと思います。

現在、天日塩は『あいがとや』を始め自然志向のお店ならばどこでも手軽に手に入ります。我が国が敗戦するまでは、どこにでもあった普通の塩です。

いや、昔の普通の塩だから貴重なのかもしれません。

天日塩は、炊き立てのご飯に胡椒とお塩を振りかけて食べても十分に美味しい物です。ミネラルが豊富でまろやかな味がして食が進みます。

どうか天日塩は普通のお塩として扱って欲しいです。









タロ

久永 広太郎(ヒサナガコウタロウ)

あいがとや店主。有限会社グランパティオ代表。グラフィックデザイナー。アートディレクターを経て情報誌「パティオ」を発刊し自然災害や公害問題、健康被害などの問題に目覚める。週末は、もっぱらアウトドアにひたすら勤しむ。